始まらない物語
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SFならばSFの、ファンタジーならファンタジーのおきまりという流れというのは確かにあるものだ。例えば何かのきっかけで異能に目覚めた少年が、同じように力に目覚めた仲間達と出会い敵対する集団と戦うとか。この世界では何のとりえもなかった少年が、突然異界に飛ばされてその世界の勇者になって人々を救うとか。それだけでは本当に”おきまり”の展開で面白くもない物語になってしまうから、色々とスパイスは必要なのだろう。けれど”おきまり”の展開にはそれなりに安定感があるものなのだ。すでに決まっている展開だからこそ、次に来るものが分かって安心するということもあるし、安定した面白さを引き出せるということもある。
ではこういう場合はどうだろうか。抜けない刀がある。別に錆びているわけではなく、そう、抜くに相応しい人間を選ぶという刀が。それもなかなか”おきまり”の展開だろう。ファンタジーにはあまり興味のない人間だって、その刀が何かしらの力を持っているのだろうということが予測できる。
そして世界は今、自分の生きているこの世界だけだと信じていた――というか、他の世界のことなど考えてもみなかった――少年がひとり。彼は公立中学の三年生で、生徒会長なんてやっているちょっとだけ他の子とは違う中学生だったけれども、超能力なんて全くなかった。自分は平凡だ、と思っている普通の中学生だ。進学に向けての勉強だって、夏休み中手を抜くことなく続けてきた。秋の文化祭を最後に生徒会長を引退して、あとは受験生としての冬を過ごすことになるはずだ。他の多くの中学三年生と同じように。そして上手くいけば来年の春には目指す高校の制服を着ていることになる。それは今の成績を保ち、なおかつ受験日に体調を崩すなど不測の事態に巻き込まれなければかなりの確実で現実となる未来だろう。
そんな彼が、二学期が始まってすぐに訪れる十五歳の誕生日の朝、同居している祖母に呼ばれて渡された一本の真剣。幼い頃から剣道の道場に通っていたために竹刀を持つことにはなれていたけれど、真剣はやはり重さからいって違う。こんなものが自分の家にあったことさえ知らなかった少年に向かって、小柄ながら朝から隙なく着物を身に着けている祖母が一言言い放つ。
「抜いてごらん」
まるでお前に剣道を習わせていたのは、この剣を抜くためだったのだとまで言い出しそうな迫力だった。誕生日のプレゼントにしては少々物騒だ。まだ成人もしていない少年に真剣を抜かせるなんて。どちらかといえば今関西の大学へ進学してひとりで暮らしている兄の方が、年齢的にも相応しい。けれどそこで、そういえば昔は十五が元服の時だったと少年は思い出した。それほど古風な家ではないと信じていたけれど、まさかこれはそういうことだろうか。この家なりの、成人の儀式のようなものか。では兄はとっくにこれをやってのけていたのだろうか。生憎そんな話は一言も聞いたことはないが。
「早くおし。昼は出かけると言っていただろう」
そうだ。幼馴染の二人に誕生祝をしてやると言われている。ファミレスで食事を奢ってくれるだけのことだろうけれど、中学生なのだからそれくらいが普通だろう。ここで真剣を抜くことの理由付けを祖母に語ってもらうような時間はない。ただでさえ、祖母は話し始めると長いのだ。
少年は受け取った刀の鞘を右手で、そして左手で柄を掴んだ。目の高さに上げて見てみても、特別古い刀には見えなかった。少年は知らないことだけれど、古臭い剣が、抜くと突然真新しくなるというような展開もファンタジーでは珍しくない。
けれどまぁ、この刀はその”おきまり”からは外れて、とても美しかった。少なくとも鞘に入った状態ではきちんと手入れされているように見える。少年は柄を握っている左手に力を込めた。別にこの刀を抜いて祖母に切りかかれと言われたわけではない。抜くだけなら何の問題もないはずだ。ただ到底誕生日のプレゼントにはなりそうにないが。
痺れを切らした祖母に怒鳴られるより前に、と少年は刀を抜こうとした。真剣を抜くのは初めてのことなのでさすがに緊張したが、手が震えでもしたら余計に危険だ。抜くなら慎重に、そして相反するかもしれないけれど思い切って抜くべきだ。そう考えて、少年はその通りに行動した。
幸い少年が思っていたほど、その刀は扱いの難しいものではなかった。抜こうとすれば拍子抜けするほどあっさりと抜けたのだ。
鞘から現れたのは朝日に輝く美しい刀身。白くすっきりとした刃は曇りなく眩しい。いや、眩しすぎる。まだ半分も抜かないうちにその刀は蛍光灯のように発光したかと思うと、目も開けていられないほどに光を増した。少年は刀を落とさないように顔だけを逸らして光が収まるのを待った。
目を閉じていても突き刺さるほどの光線が段々と収まると、右手にはしっかりとした鞘の感覚が残るものの、左手にあるはずの柄の感覚が消えていた。うっかり落としてしまったのだろうか、少年がそう思って目を開けると、目の前にあったはずの美しい刀身はなく、ついでに言うなら左に握っていたはずの柄もなかった。長い刀身はその柄ごと姿をすっかりと変えてしまっていたのだ。少年は刀の変わりに現れた姿に黒い切れ長の目を丸くした。
物語好きの幼馴染の少女がよく妄想を口にしているが、こういう場合はやはり現れる生き物は少年の目にしたことのないような未知の生物であったりするべきなのではないだろうか。例えばドラゴンやペガサス。犬なら犬でも、特殊な色をしているとか、体がやけに大きいとか、どちらかと言えばイメージ的に狼に近い形の生物であって欲しい。とにかく非現実的な展開を、それらしく色付けするような生物であってしかるべきでは?
だがなるほど、物語と現実との違いはこういうところなのかもしれないな、と十五歳らしからぬ冷静さで少年は思った。刀が別の形をとることは非現実的だけれど、変化した後が未知の生物であるよりは見慣れた形であった方が親しみが湧く。親しんでどうするのか、という問題もあるがそれはいま考えるべきことではないように思う。考えるべきは、今この目の前に現れた生物が何なのかということ。
「……ばあ様、俺には刀ではなく柴犬に見えるのですが」
それもサイズは標準で驚くような色でもない。くるりと丸まった尻尾が愛らしい、ただの柴犬だった。少なくとも少年にはそう見えた。
「安心おし。あたしにもそう見えているよ」
祖母の同意を得られたということは、見る者によって姿が違って見えるという展開でもないらしい。目の前のものが真実。ならば何も悩む必要はないような気がする。
『……ふ、ん。今回のはまた、えらくよく似てやがる』
いや、やはり悩む必要はあった。見えるものだけが真実とは限らないという物語の――往々にして現実の――セオリーが、常識、非常識お構いなく展開されている。犬が、ただの柴犬にしか見えない犬が喋ったのだ。
それにしてもガラの悪い柴犬だな、とまたしてもどこか方向のずれた冷静さを保って少年は思った。重低音で喋る犬が誕生日祝いだなんて、嬉しいわけがない。それは確かに誰でもそうだろうけれど、多分誕生日祝いよりもっと特別なお祝いだったとしても喜ぶ中学生はいないだろう。
『おい、俺は犬じゃあない。刀だ』
刀だろうが犬だろうが、相手を喜ばせるための贈り物としては向かないことだけは確かだ。
『……まぁな。正論だ』
同意が得られたところでひとつ。
「ばあ様」
これは一体どういう事態なのだ、と少年は祖母に問いかけた。祖母はそんな少年に軽く手を挙げて見せた。
「まぁ、待ちな。お前、その犬の言っていることが分かるのかい?」
『だから、俺は刀だって言ってるだろうがよ』
口は動いていないが、それは確かに中型の柴犬がいるところから聞こえているように少年には思えた。
「……自分は犬ではなくて刀だと主張していますが」
だがやはり犬だろうと少年は思う。しかも、こだわるけれどただの柴犬だ。
「あたしには聞こえない」
そう言われて自分の耳を疑うよりも、少年はまず祖母の年齢を思い浮かべた。祖母はそんな少年の思考を読んだかのようにして眉間に皴を寄せる。
「耳が遠くなったわけじゃあないよ」
遠くなるどころか益々冴えて、心の中の声まで聞こえるようでは地獄耳以上だ。少年としてはぐうの音もでない。
「……だが、そうかい。嫁に来たときはやはり半信半疑だったけれどね……」
それは一体何十年前の事だろうか。聞きたいけれどここで話の腰を折るついでに自分の身を危険にさらす事は避けたい。少年はとりあえず黙って祖母が話を続けるのを待った。
「その刀は持つ者を選ぶ。ただひとつの魂と共にあると言われている刀だ。その魂は、刀がこの家にある限りはそこに近い場所に産まれるように互いに縛られているのだ、と」
ただひとつの魂。それは輪廻転生だとか、そういう観念を前提としているということだろうか。
「これがお前の前にその刀を抜いた曾爺様の弟さんだよ」
そう言って少年の祖母が懐から出して見せたのは、古い白黒の写真だった。写真の中にいるのは黒い詰襟の服を着て、帽子を持った手を胸の辺りに置いた青年だった。黒い髪、切れ長の目と背筋の伸びた凛とした立ち姿。年は十七、八くらいだろうか。
「……俺に……」
とてもよく似ていた。例えば少年がもう少し年をとったら、自分の写真だと偽っても分からないほどに。
「似ているだろう? その方は残念だけれど若くて戦死なさった」
やはりせっかくの誕生日に聞きたい話ではない。同じ魂という話だって、顔が似ているだけではにわかに信じがたい。血縁関係にあるのだから、曾祖父の弟と自分が似ていることもあるだろう。だが祖母はすっかりそれを信じているようだ。
「お前が産まれてもしかしたらと思っていた。話だけは亡くなったじい様から聞いていたがね。本当に刀が変化するとは、正直思っていなかったよ」
それを言うなら少年だってこんなおかしなものを誕生日にもらうとは思っていなかった。
「で? この犬……刀をもらって、俺は何をすればいいというのですか?」
無理難題を押し付けられるのはごめんだけれど、少しばかり何かが始まるような期待を抱く展開ではある。少年がそんな小さな期待を抱きつつ尋ねると、尋ねられた祖母は無表情で首を傾げた。
「別に」
『何も』
続けたのは畳に伏せている柴犬だ。少年は祖母ではなく自分の耳が遠くなったのではないかと疑って繰り返した。祖母の言葉と犬の言葉を繋げると――。
「……別に、何も?」
それはないだろう。ここまで意味深な前振りと、いかにもな道具立てをしておきながら何もしなくて構わないというのは。非難がましい目で見ていることに気付いたのだろう。祖母は急にそわそわして立ち上がった。
「少なくともあたしは何も聞かされていないね。……おや、もうこんな時間だ。あたしはよねさんと出かける約束をしているから、もう行くよ。あぁ……言い忘れていた。十五の誕生日おめでとう」
「……ありがとうございます」
そんなお出かけついでに言われても嬉しくないので顰め面で答えたのだが、祖母はもうそんな少年を見てはいなかった。
納得いかない。
ただおかしな刀を抜かされて、化けた犬を押し付けられて、それに誕生日の贈り物以外の意味がないなんて。くっと眉間に皴を寄せた少年に、当の化け犬はしれっとした顔でまるまった尻尾をゆらゆらと揺らした。
『お前も出かけるんだろ。ちゃんと俺をしまってから行けよ』
出した玩具は片付けなさいという幼い頃よく言われた母の言いつけと同じように、犬は尻尾を振りながら少年に命令した。だが小さい頃と違って片付け先の玩具箱はないし、大体相手は生き物で玩具ではない。
「しまうって……どうやって」
『そこに鞘があるだろうが』
確かに。鞘は先ほどから少年の右脇においてある。
「だがお前は犬だ。鞘には入らない」
今までどうやって入っていたのかは別として、今は犬なのだから納めるべきなのは鞘ではないだろう。誕生日に犬をもらったからといって、まさか小遣いで犬小屋を買えとは言われないだろうな、と少年は不安を覚えた。
『見た目に惑わされるな。あぁ……いい。面倒だから鞘を持って戻れと言え』
少年の不安をよそに、あくまでもこの犬は鞘に戻るのだと主張する。半信半疑ながらも少年は畳においていた鞘を右手に持って言った。
「……戻れ」
そういえば犬の躾だってお手や伏せと同じようにホームという命令があったはずだ。自分の小屋に戻れ、という意味の命令が。日本語で命令するのならやはりホームは小屋に戻れということになるのだろうから、戻れという命令で違和感はない。戻る先が犬小屋ならばの話だが。
犬は犬小屋へ、だが刀ならば鞘へ戻って当然。ということは、この誕生日プレゼント――らしきもの――が戻る先によって犬か刀かが決まる、ということなのか。少年の思考をよそに、生意気な口調の柴犬は少年の命令に反応して青白く光った。光ったかと思うと一陣の風を巻き起こしてあっという間に姿を消してしまったのだ。
「…………戻った…………」
果たして犬が閃光となって戻った先は刀が納まるべき鞘で。で、これから一体どうしろというのだろうか。
『とりあえず出掛けたらどうだ?』
促されて部屋の時計を見ると、すでに待ち合わせ場所に歩いて行くには少なすぎる時間しか残っていなかった。全く納得できないけれど、走って出るしかなさそうだ。刀は気になるが、持って歩くわけにはいかないだろうから部屋に置いていくことにして。
「……とりあえず帰ってくるまでどこにも行くなよ」
『刀がひとりで出歩けるわけねぇだろ』
勿論ただの刀ならそうだろう。しかし犬なら出歩ける。足が四本もあるのだから。
『だから犬じゃあなくて、刀だって』
もういい。それはとりあえず置いておこう、と少年は思った。別に何もしなくていいというのなら、もらったものの価値や正体を見極めることは後でもできる。今はとりあえず人を待たせているのだから急がなければならない。
さて、少年はこの先“おきまり”通りに厄介なことに巻き込まれるのかどうなのか。物語はまだ始まってもいない。